2012-07-24
渡部 千春

この時代になぜグラフィックデザインを選ぶのか

教員の渡部千春です。
オープンキャンパスに関わった皆様、ご苦労様でした。


グラフィック専攻では、二日間、合計6回のトークが行われました。
最後のトークで、在校生から「この時代になぜグラフィックデザインを選ぶのか」という質問が出た際、「現在混迷するデザイン業界において重要なのは頭脳であり、グラフィックでもプロダクトでも分野は関係ないと思う」という答えになってない答えをしてしまいました。
「頭脳」という言い方もあまりにも答えになってないので、きちんと説明せねばな、と思っていたところに、こんなブログを発見しました。


「話題のスタンフォード大学デザインスクール -d・school- に行ってみたぞ」
http://networkedblogs.com/A9oel


サンフランシスコ、シリコンバレーにあるクリエイティブエイジェンシー(日本語のサイトではwebコンサルティング・サイト制作サービス、と書かれていますが)btraxのスタッフによる、日本語のポストです。


少し内容を抜粋します。
「スタンフォード大学内で学生達が議論をするのたった一つのテーブルから始まったらしい。そこからポコポコとイノベーションの種が生まれているのに目をつけた大学側がその環境改革に着手し、イノベーションを形にするプロトタイピングスタジオを創り上げ」
「生物学から教育学まで、様々なプロフェッションを追求している。それが、このd・schoolでお互いのマニアックな見識をぶつけ合い、プロダクトを創る為に日々頑張っている」


ここで書かれている「イノベーション」「見識」、これが私の言いたかった「頭脳」の意味です。


もう少し話を最初に戻しましょう。
なぜデザイン業界は「混迷している」のか。
これは、特に2000年代以降から表現方法が激変したことを指しています。
メディアの多様化に従い、グラフィックの代名詞のような存在だった広告ポスターが過去のように機能しなくなってきたこと、音楽好きが憧れていたレコードジャケットはCDサイズに縮小し、さらに配信になってメディアの物質感そのものがなくなりグラフィックの必要性がなくなったこと、エディトリアルデザインが関わる雑誌は次々廃刊し、情報はウェブから無料で収集するようになったこと、などです。


グラフィックだけではありません。プロダクトの世界はもっとシビアでしょう。
日本の人口は減少を始め、今後日本国内だけでものを売っていくわけにはいきませんから、海外での販売も考えると、当然国外の事情に合わせたものづくりが必要となってきます。生産拠点も人件費の安い国へと移行し、大手メーカーからの下請け、孫請けでやってきた会社は、独自のクライアントを見つけなければいけなくなってきました。
また新たに生産拠点とされているアジア諸国、分かりやすい例では中国、で作られた製品が100均ショップなどで売られ、日本のメーカーでなくても受け入れられるようになっています。
グローバル展開するイケアのようなショップが進出し、都市の真ん中ではなく郊外型の大型ショッピングセンターに行く、というように、ものの買い方も変わってきました。


ものの買い方、と言えば、本から文具から食品からあらゆるものをオンラインショッピングで購入することも普通になってきています。
恐らく一番変化を遂げているのは情報インフラで、これまで個々の機械で行ってきた通信、音楽再生、情報収集など、スマートホン1台で足りるようになり、それぞれの機器のデザインは、アプリのデザインに変わってきています。
大きなメディアであったテレビの内容がパソコンでも見れる、あるいはテレビの機器にパソコンが繋がっている、という状況になってくると、それまで内容を作って放映していたテレビ局の影響力は小さくなるのは当然です。情報の源は国内外問わず、本拠地の大小問わず、あらゆるところに分散していっています。


このように激しい変化がこの10年〜20年という短期に起こったため、旧来の手法が通じなくなってきている、これが「混迷の時代」の意味です。
混迷と書くとネガティブに聞こえますが、トライアル&エラーの連続であり、新しいものを作り出しやすい、受け入れられやすい、挑戦しがいのある時代とも言えるわけです。


最初の在校生の質問「この時代に、なぜグラフィックデザインを選ぶのか」に戻ってみましょう。
新しいもの、発想を生み出すには、一人では空回りしてしまいがちですし実行するのに限界があるため、btraxのブログに書かれていた「様々なプロフェッションを追求//お互いのマニアックな見識をぶつけ合い、プロダクトを創る」ことが求められます。
グラフィックを専攻する学生は、グラフィックというプロフェッション=専門を追求し、他分野の人々と意見を交えて行く、ということになります。
今あるもの、今後出て来るもの、どんなものにおいてもグラフィック(視覚的な効果)の感覚は非常に重要です。


というのは、グラフィックデザインは日本語や英語、中国語といった言語と並ぶ、視覚言語だからです。文字や喋りで内容を伝達するのと同じく、視覚的に伝達するコミュニケーションツールは、あらゆる場面で不可欠と言えるでしょう。
学生は今、主に紙に印刷されたグラフィック、で技術を磨いているところだと思いますが、これはあくまで基礎的な演習に過ぎません。他の言語での文法を学んでいるのと同じ事です。その応用がモニター上でも、インタラクティブな動きのある世界になっても、工業デザインのようなプロダクトでも、全く事情の異なる海外であっても、やはり視覚的にユーザーを誘導する、もののイメージを伝えることには変わりありません。


ポスターの中のイメージからどこにどんな色、形、情報、サイズがあると見ている人に伝わりやすいのか、印刷手法の中からどんな素材感がどんな効果が生まれるのか、イラストレーションはどんな表現が幼児に、高齢者に、男性に、女性に訴える力となるのか、書籍装丁、エディトリアルデザインでは内容を咀嚼し、どんな表情(表紙)、情報の配置が適しているのか、こうして基礎を固めていっているのです。


絵が好きだから、マンガが好きだから、広告業界に憧れているから、どんなきっかけでグラフィック専攻に入ったか、それはその人の自由です。ただし、グラフィック専攻で勉強したからと言って、グラフィックデザイナーになることだけが目的ではありません(実際、私がそういう例外例です)。グラフィック専攻とは、視覚言語を学んで次のステップに進む基本段階である、と私は考えています。


追記:
参照させていただいたbtraxのサイトはアメリカのクリエイティブの環境について知ることができる、特に日本やアジアとアメリカのネットワークについて知ることができる興味深いサイトだと思いました。
仕事例として出ている会社はあまり知りませんでしたが、
NEW PEOPLE
http://www.btrax.com/en/our-work/showcase/new-people/
は建築事務所のトラフ、家具や室内のデザイン事務所藤森泰司アトリエ(藤森さんは皆さんの先輩でもあります)、グラフィックデザイン事務所の高い山と一緒に取材に行ったことがあるので、親近感が湧きました。